多読をしていると、 こんなことってありませんか。
・登場人物が多くて誰が誰だかわからなくなった
・人にストーリーを要約して伝えられるほど内容を理解できていない
内容がわからなくなっているのに、読了しなければならないという気持ちから無理矢理読み続けて多読が苦痛になってしまったなんてことはありませんか。
なんとか読了してみたものの燃え尽き症候群のようになってしまって、次の本を読む気がなくなってしまった、という経験がある方もいるかもしれません。
わたしは今まで多くの洋書を読んできましたが、挫折した本はたくさんあります。
最後まで読めなかった本はたくさんあるのですが、今も読書は続けることができています。
その理由はストーリーが追えなくなった本はさっさと諦めて次の本を読み始めるからです。
多読において、本を読了することはさほど大切ではありません。
多くの文章に触れることで英語力を養う勉強法のため、最後まで文章を読み続けたかどうかは関係ないんです。
ただし、多読をしていると、最後まで読めなかったときにそれを挫折ととらえてしまう感覚はよくわかります。
なぜなら私も読了を目指して多読をしていた時期があるからです。
しかし読了を目標にしてしまうと、自分を追い込んでしまう可能性が高くなります。
多読を継続していくためには、おもしろくない本を読み続けないこと。
多読を続けるキーポイントをご説明します。
ストーリーが追えなくなった本はさっさと手放そう
本を選ぶ理由っていくつかありますよね。
タイトルに惹かれて買った本。
内容に興味を持って読んでみたくなった本。
友人から勧められて購入した本。
しかし、これらの本が自分にとってベストな本とは限りません。
実際に読んでみると、英語の難易度が高かったり、そもそも内容が難しい、なんてことがあったりします。
「せっかく買った本だし読むしかない」と頑張って読み続けようとしたくなりますよね。
もし読み続けているうちに内容理解が深くなりおもしろいと感じ始めるようならよいのですが、読むことそのものが苦痛に感じるようなら読むのをさっぱりとやめましょう。
無理矢理読み続ける読書ほど、おもしろくないものはありません。
むしろ読書が苦痛になり多読をやめてしまったり、洋書に対する抵抗感が生まれてしまうなどのデメリットが生まれてしまいます。
面白くない本に出会ってしまうのは、理解力が不足しているとか英語力が足りていないなど、あなたの能力不足のせいではありません。
「内容についていけない」と感じるなら、その本はさっさと手放して、他の本を探してみましょう。
つまらないと感じる本を読み続けるのは時間の無駄!より良い本を求めて次の本を探そう!
読了することを目的としない
多読を継続するポイントとして、目標を冊数にしないことが挙げられます。
「1週間に1冊読む」「半年で50冊読む」など冊数の違いはあれど、冊数は目標にしやすい指標の一つですね。
冊数を目標にするのは決して悪いことではないのですが、冊数を目標にした時点で、読了しなければならないという条件がついてきます。
その場合、内容が面白いか面白くないかにかかわらず、最後まで読む必要が出てきてしまうんですよね。
多読の目的は多くの文章に触れることで、英語力を鍛える勉強法です。
読了したからと言って英語力が上がるわけではありません。
読了を目標にしてしまうと、つまらない本を選んでしまった場合、無理矢理読み続けるという地獄が待っています。
もし目標が欲しい場合は、ワード数を使うのがおすすめです。
ワード数であれば読んだワード数をカウントできるため、途中でやめた本があっても問題ありません。
読了することを目標とするのではなく、読んでいて楽しい内容をたくさん読むようにしましょう。
そうすればモチベーションも維持できますよ。
冊数を目標にするのではなく、より多くの英文に触れよう!
【実体験】途中で読むのをやめた本の話
ここで、私の最近の途中で諦めた本の話をしようと思います。
Oxford Bookworms Stage6の『Vanity Fair』です。
Oxford Bookwormsは英語学習者用に編集されたシリーズで、使われている英語の質がよく、非常に読みやすくおすすめです。
しかし、『Vanity Fair』は8割読んで途中でやめました。
その理由は、登場人物が誰が誰だかわからなくなってしまったんですよ。
登場人物が多いんです。
これだけでも、集中力が必要になるんですよね。
誰と誰が仲が良くて、悪いのか。誰と誰が夫婦になったか。
この人間関係が複雑なんですよ。
さらに、男性たちは軍隊に所属しているのですが、ランク名も名前の前についたりして、関係性が途中からわからなくなってしまったんですよ。
そこに加えて、これが私にとって最大のストレスだったんですけど、名前を愛称で呼ぶ場面が出てくるなど、使用されている名前が変わるんです。
例えば主人公Ameliaという女性が出てくるのですが、親しい間柄ではEmmyと呼ばれていたり、もう一人の主人公RebeccaはBeckyと表現されていることがあります。
日本の小説でテツヤくんという登場人物に対して、友達や恋人がてっちゃんと呼ぶような感じですね。
日本語の場合どうってことない変化ですが、英語の名前事情に慣れていないとこの変化はしんどいんですよ。
「え?いきなりEmmyって出てきたけど誰?」「Beckyってどこの誰やねん」と混乱するんです。
AmeliaがEmmyとなったりRebeccaがBeckyといった、あだ名に慣れるのも今後の洋書ライフにおいて重要ではあるため、それ自体が悪いわけではないのですが、私には他にも理解しなければならない人間関係や時代背景(ナポレオンが活躍していた時代です)があるため、途中から何が起きているのかわからなくなってしまったんです。
途中までは楽しんで読んでいたのですが、どんどんストーリーについていけなくなり、あと2割で終わりというところで読むのをやめました。
残りのストーリーを我慢して読むこともできましたが、無理矢理読む英文は文字を目でなぞっているだけで内容を理解していないことも多いため、もっと楽しく読める本に時間を割くため、さっぱりと読むのをやめました。
本書は『悪女』という題名で映画化されているので、これから映画を見て、その後に再チャレンジしたいと思っています。
読了できないのは悪いことではない
読了できないと「達成できなかった」とか「挫折した」と言ったようなネガティブな感情が出てきてしまいますよね。
私も少なからずとも、「読めなかったなぁ」といった残念な気持ちになることはあります。
しかし読めない本があるのはよくあること。
世の中にある数多くの本が、すべて自分にとって面白いとは限りません。
例えば、テレビ・ドラマやマンガなど、おもしろくなくなって途中で見るのをやめたという経験はありませんか?
その時、見るのをやめた自分を責めることってあまりないのではないかと思います。
面白かったらみ続けるし、おもしろくなければ見るのをやめる。
ごく自然ですよね。それなのに本に関しては、途中でやめることが悪いことかのように感じてしまうことってあるんですよね。
多読は英語力を上げるための手段。
読了するのが大切なのではなく、たくさんの英文に触れることが重要です。
私は今までいろんな本を読み、いろんな本を途中でやめています。
読了しなかった本はたくさんありますが読み続けているので、英語力が落ちることはなく、常に向上しています。
「内容についていけなくなった」
「なんか面白くないな」
「使われている単語が難しすぎる」
こんなふうに感じたら、私はさっぱりとその本を手放してしまいます。
手放した本は、自分の英語力が上がってから再チャレンジしようと思う本もありますし、完全にお別れすることもあります。
知識不足の場合は、関連本を2〜3冊読んでから再度読んでみようと計画することもありますね。
本が読み進められないのにはいくつか理由があります。
自分の英語力かもしれないし、知識不足かもしれない。英語の文体が自分と合わないということだってあります。
だから読了できなかったからと言って、自分を責める必要はありません。
自分に合った本に出会えると、多読が続きます。
頑張らなくても読める本を探しましょう。
楽しい本に出会えなかったら潔く手放す。
こんな気持ちでいろんな本を開いてみると読書が継続できますよ。
それでは!